カテゴリー別アーカイブ: マスコミ掲載情報

大分合同新聞 灯にて掲載 4月27日(土)


4月27日(土)の大分合同新聞夕刊「灯」にて
「パリの貴婦人はよみがえる」と題した
こうじ屋ウーマン 浅利妙峰のコラムが掲載されました。

2019年4月27日(土)大分合同新聞夕刊より

「パリの貴婦人はよみがえる」

 ノートルダム寺院(大聖堂)の炎上にフランス国民は悲嘆に暮れ涙を流し、なすすべもない中で、ひたすらに賛美歌のアベマリアを歌い続けた。いつもの風景が突然、無残な姿に変わる。長い時間をかけて築き上げたものが、目の前で焼き焦がれ、崩れ落ちる姿を見せつけられる。両手を組み、ひたすら祈りを届けることしか残されていない。

 フランスが一つになった。いや世界中の人が、ノートルダム寺院の炎上する姿に向けて手を合わせ、涙を流し、祈りをささげた。なすすべはないけれど、ひたすらに感謝し、祈るだけで心の中に安心が生まれることを思い出させてくれた。それはキリストがはりつけにされた十字架を眺めながら、祈ることしか残されていなかったあの状況と同じ。燃えさかる炎の中に自分のことは顧みず、命をささげたキリストの姿が見えた気がしたのは、私だけではないだろう。

 世界中から多くの祈りが届けられた。重要なのは、誰に向かって祈りをささげたかではなく、対象とする神仏は違っても、大きな力へ畏敬の念を向けて、良き道を開かせたまえと祈る心だ。今という時代を共に生きる、私たちの祈りの心が天に届かないはずはない。小さな人間の心の中にひたすら祈る喜びを思い出させ、他者のために祈り、人類愛にと広げる熱き心が芽生えた。パリの貴婦人はきっとよみがえる。 (こうじ屋ウーマン・佐伯市)


大分合同新聞 灯にて掲載 4月17日(水)


4月17日(水)の大分合同新聞夕刊「灯」にて
「パラグアイから届いた手紙」と題した
こうじ屋ウーマン 浅利妙峰のコラムが掲載されました。

2019年4月17日(水)大分合同新聞夕刊より

 差出人の名前だけで住所のない手紙が届いた。中を開いてみると「突然のお手紙すみません」で始まっている。「引き出しから糀(こうじ)を作り続けて300年糀屋本店のパンフレットと、浅利さんの新聞の切り抜きやレシピなどを見つけました。私たちの住むラパスの町で塩糀の講師をしていただいてから何年になるのでしょうか。今やパラグアイでも塩糀が多くの人に使われています」と続く。

 長男の定栄が青年海外協力隊の隊員としてパラグアイに赴いたのは2011年。塩糀ブームが国内でも広がり始めた12年の8月にパラグアイを訪問してから、はや6年以上が過ぎた。

 首都アスンシオンや三つの日系人居住地で塩糀や糀についてお話をした。お手紙の方の住むラパスでは、現地で手作りの糀を準備してくださり、参加者の皆さんと塩糀を作った。「おいしくなあれ」「愛しているよ」「我愛你(ウォー/アイ/ニー)」などと声掛けをすると、よりおいしくなると伝えた。

 いろいろなお店はないけれど、おはぎやかりんとう作りの名人、漬物上手な人がみんなの分まで持ち寄って、お茶を飲みながら、あれこれ話をするのが楽しみだと言う。私もその中に加わり、楽しい時間を過ごした。礼儀作法やきれいな日本語、おもてなしや助け合いの心、古き良き時代の日本が根付いていることにうらやましさとうれしさが心に湧いた。

(こうじ屋ウーマン・佐伯市)


大分合同新聞 灯にて掲載 3月22日(金)


3月22日(金)の大分合同新聞夕刊「灯」にて
こうじ屋ウーマン 浅利妙峰のコラムが掲載されました。
~「美しい庭の町クライストチャーチ」と題して~
ニュージーランドでの活動の様子と思いを綴っています。

2019年3月22日(金)大分合同新聞夕刊より

 北半球、早春の日本を飛び出し、南半球、初秋のニュージーランド(NZ)まで約13時間。イングランド以外で一番イングランドらしい、美しい庭の町クライストチャーチに降り立った。3月上旬、カンタベリージャパンデーに参加し糀(こうじ)の話をするためだ。

 東日本大震災発生の17日前、2011年2月22日、カンタベリー地方を強い地震が襲った。液状化した土地、全壊や半壊の建物は多く、町の象徴である大聖堂も一部崩壊した。第1回ジャパンデーが開かれたのはその1年後。NZと日本の国交60周年、カンタベリー日本人会20周年、そして何より、二つの地震によって亡くなられた方やその家族と友人、家や仕事を失って苦しまれている方々のことを忘れず、皆で力を合わせ前向きに進むための追悼と復活のシンボルとして。

 今年で8回目のこの行事で糀料理の試食会をし、その効果効能を伝えた。豆腐をフォークで混ぜて作るほうれん草の白あえや、オリーブオイルを塩糀で乳化させパンに浸したものなどどれも大好評。この地ではまだ糀の出番は少なく、ぜひ使ってみたいと多くのラブコールをいただいた。

 日本に戻って、クライストチャーチのモスクで大勢が犠牲となる銃乱射事件が起きた。移民の国ながら皆が仲良く暮らしている町での出来事に驚き、いつか町の人たちの悲しみが癒える日が訪れることを祈っている。
(こうじ屋ウーマン・佐伯市)


大分合同新聞 灯にて掲載 2月6日(水)


2月6日(水)の大分合同新聞夕刊「灯」にて
こうじ屋ウーマン 浅利妙峰のコラムが掲載されました。
~「都城市三重町」と題して~

2019年2月6日(水)大分合同新聞夕刊より

 豊後大友と薩摩島津による戸次川の壮絶な戦い(天正14年12月)の翌1587年3月、豊臣秀吉の九州平定の出陣を聞き、退去を始めた島津軍の中に三重郷住民700人余り(といわれている)の姿があった。島津は彼らを居城である鶴丸城(都城)へ捕虜として連れ帰り、本之原に三重町(今の西町)、本町、後町の三町を立てて召し置いた。

 彼らは三重郷領主層である麻生紹和にゆかりを持つ政治、経済、農業に力のある階層の人々であったため、鹿児島の武家に取り立てられた者、鶴丸城下の町役人に任じられた者、領主御用酒屋となった者もある。大部分は鶴丸城武士の諸用を調える市場で商業活動に従事した。

 三重郷から都城へ向かう際、1体の如意輪観世音像を背負い運んだ。故郷を遠く離れた彼らの心の支えとなり、事あるごとに観音様の前に集まり、慰め、励まし、故郷のことを語り合ったに違いない。

 それから430年以上の時が流れた。三重郷住民の活躍は都城市民の活躍として知られるところであるが、彼らの活躍を見守り続けている如意輪観世音像は、今も都城市三重町(西町)の野口家に祭られている。

 蛇足ながら私の主人は都城出身。ご先祖さまは都城市三重町に端を発している。大分から都城へ。二つの三重町をつなぎ、不思議なご縁で結ばれ、今を生きる夫婦になれたことに感謝と誇りを感じる。(こうじ屋ウーマン・佐伯市)


「現代用語の基礎知識2019」に掲載されました


用語辞典の一種「現代用語の基礎知識2019」に、「塩麹」が掲載されました(p.1207)。しかも、 「ブームの火付け役は、大分県佐伯市で300年以上続く糀屋本店の浅利妙峰」と記載。これは、ご先祖様ももろ手を挙げて喜んでいるに違いありません。
ありがとうございます。